逆境からのスタートによって生まれた「社会の役に立つ」という理念

創業者 小林有二の生家は、讃岐の地で鉄製階段や手摺の加工製造を営んでいた。
父が起こし、兄が継いだ小林鉄工所で働いていた小林には、「いつか自分の会社を」という想いがあった。

2009年、企業を考える小林に一つの話が舞い込んだ。
とある工場が経営者が高齢のため引退する。工場内の設備はもちろん、従業員10名もそのまま。当時受注していた配管や水や油を貯蔵する鉄製タンクの製造も引き継げるという条件で買い手探しているというのだ。
整った設備とノウハウを持った従業員、そして仕事まで引き継げるというのだから、こんなにありがたいことはない。
小林はこの会社を引き継ぐ形で起業することを決意した。

しかし、急転直下。
会社を引き継ぐにあたって最終交渉の段階になり、数カ月後には赤字となる試算表が出されたのだ。
当時いた従業員は技術もある高齢の人材ばかりで、固定費だけで月500万円必要となる。
それに対し、月の売上予測は200万円程度しかない。
急いで営業をかけるにしても、かなり利益率の高い受注を取らなくてはならない。

そして、奇しくもその年はリーマンショックの影響による未曾有の不況と言われた2009年。
不景気の嵐の中では利益率云々の前に仕事そのものがない。
引き継ぎの際に取引のあった三社も次々に離れ、起業からわずか半年後売上は、ついに0に。
用意していた運転資金も早晩に底をつき、銀行融資などの資金繰りをするも数ヶ月先が見えない状況に陥っていた。

「今のままでは、先がない」

事業を縮小し、再出発することを決断した。


これまでやっていた配管やタンクの製造から手を引き、自身がノウハウを持っている建設関係の業界へ移ることにした。

創業から在籍していた12名の社員は未経験の業種を嫌い、全員離れていった。
従業員不在となった工場は稼働できず、土地建物の賃料が回収できない。

出血を止め、早期回復を狙うためには、すべてを処分するしかなかった。

小林のもとに残ったのは、プレハブ小屋の事務所、ボロボロのトラックが一台。

朝事務所に行き、一人神棚の水を変え手を合わせる。
仕事は、ない。
方方に連絡を取り、営業活動をするが受注にならない。

気ばかりが焦り、頭を抱える日々が続いた。


そんなある日。
ふと窓の外に目をやると、畦道の脇に生える何でもない雑草が目に止まった。
日を浴び、花をつけ、風にそよぐ名も知らない草。
しかし、そんな雑草を見て、ふと、ある思いが小林の頭によぎった。

「草でも枯れたら土に還り肥やしになる。草でも誰かの役に立っているんだ。人間である自分には、もっと人の、社会の役に立てるはずだ。」

社会の役に立つ仕事をする

先の見えない暗闇の中で、小林の心に小さな火が灯った。
小さな、しかし消えることのない強い火であった。

この小さな火が原点となり、トクシンの理念となった。